kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

なぜ仕事が長く続かないのか~パート3

前回の話の続きから書いていきたいと思います。前回は不満を徐々に抱えていったという形で話を締めくくりました。しかし、今思えばその不満はちっぽけなものであり、私はただ単に「わがまま」なだけだったのだと思います。
 
名古屋という土地に住み、新たな場所で就職を始めてから1年経たないうちに、私は当時の上司からこう告げられたのです。
「○○君は、地元が福岡の方だよね。実は、今度新たに、北九州の方に新規でお店を立ち上げて、君に責任者、つまりリーダーとして働いてもらいたいと思っているんだ」
と言われました。この時の心境はあまりはっきりとは覚えていないのですが、やはり相当迷いました。このまま名古屋に残りたい気持ちと、地元に帰りたい気持ち、揺れに揺れたと思います
このまま残りたい気持ちを挙げるとすると、
・心強い同士、仲間が近くにいるのでその人たちとともにまだ働きたいと思ったから
・自分にはまだ責任者やリーターの立ち位置で働くことに不安があったから
・生活にようやく慣れてきて離れること、それに近くに兄がいて離れることが精神的にどうなるのかと思ったから
離れてもいいと思った理由を挙げるとすると、
・このチャンスを逃してはいけない、もらった機会を無駄にしてはいけないこと
・ここで学んだことにプラスして様々な経験ができ、それにいろいろな可能性があるかもしれないと思えたこと
・実家が近いこと
・住んではいないけど何度か行ったことのある街で想像ができたこと
くらいでしょうか。
 
どちらも理由はともあれ悩んだことは覚えています。ただ、最終的な決め手はこのチャンスを逃してはいけない、と思ったことです。
もちろん、不安はかなりありましたけど、その不安は何とかなると当時は思えていました。
それに、同期や先輩方が快くサポートしてくれました。軌道に乗ってきてからそこを離れることはやはり辛いものです。
 
早く離れたいといいう気持ちはなかったため転居する日や、名古屋で働く最後の日までは本当に名残惜しかったです。
また、離れる直前になると自分についてくれたお客様が残念がってくれたこと、それに職場の同期がお別れ会を開いてくれたこと、エールを送ってくれたこと、その全てが嬉しかったですし、自分は本当に恵まれた環境にいたんだと改めて思えました。嬉しくもあり、やはり寂しさもありました。
 
ここまでの出来事は1年も経っていません。もちろん、時間や日数、期間ではないのですが、この後新たな地で働いていくにはやはり苦労をしましたし、上手くはいきませんでした
改めて未知の場所で働くことは大変だと思ったのと同時に、知っている場所ではあるものの、仕事をしていく上で近くに人がいないことは特に苦労しました
 
メールや電話で聞ける、相談できるとは思うのですが、やはり相手も仕事をしていて、しかもその場の状況が分かりません。
最初の頃はちょくちょく電話したり連絡を取っていたりしていたのですが、相手側が忙しい状況でもあり、今すぐに返事が欲しいのに返ってこない、聞きたいことをすぐに聞けないという状況はさすがに大変で困りました。それに、新しくスポーツクラブの中に加圧トレーニングの一角のスペースができるということで、興味本位で見に来る人、そして体験をしに来る人、また期待をしてくる人と実に様々いて、これは私自身とてもいい経験をすることができました。
 
もちろん、上手く入会に結びつかずに悩みましたけど、試行錯誤の末に次第に入会に結びつくようになりました。会員数が伸び悩んだ時は何度も挫けましたが、絶対に会員数を増やして繁盛させようという思いでその時はいました。
ただ、この時に私はとある勘違いをしてしまったのです。これがもし自分でお店を構えて独立しており、何もかもを1人の力で行っていたのなら多少は自信にしてもいいのでしょうが、これはあくまでお店やクラブの力を大いに借りている状況でした。おそらくスポーツクラブの中にトレーニングルームがなければ、もっと集客に苦労したでしょうし、もっと会員数が伸び悩んで苦労していたことと思います。スポーツクラブ側の力を借りて会員数が増えていき、次第に軌道に乗っていきました。それに伴って少しずつ天狗になっていった面は否めなかったと思います。
もちろん、自信にはなりました。それに、自分一人である程度思うがままに仕事ができていたので快適にできていました。
慣れてきて会員数が伸びていき予約で埋まってくるともちろん忙しくなります。そして、自分一人で会員さんの指導が追い付かなくなっていき、もう一人スタッフを増員することに繋がったのです。
 
この期間はオープンしてから半年強くらいの期間だったと思います。後から考えると、これもとんとん拍子に進んで会員数を増やしていった結果ではあるのですが、この時から少しずつ私の中にある思いが芽生えてきたのです。それは、いずれ独立してトレーナー業をしていきたいなということでした。
また、それと同時にとある思いも抱き始めたのです。それは、このまま加圧トレーニングのトレーナーとして生計を立てていけるのか、家族を持った時に養っていけるのか、と。次第に将来に対する不安も芽生えてきたのです。会社に雇われている身ですから、たとえ正社員であっても給料にはなかなか反映されません。そして、その会社ではボーナスがありませんでしたので、給与面での不満も少しずつ芽生え始めてきたのです。加圧トレーニングは当時、急成長をしているトレーニング法であったこともあり、会社としても全国に拡大しようとしていました。新店舗を作ったり、スポーツクラブの一角のスペースを借りて運営したりと、様々な事業をしていました。ですので、わずか数年間で事業を拡大していっていたのです。
そのため、店舗に新たなスタッフが1名加わるタイミングで、当時広島市のスポーツクラブの中に展開していた加圧トレーニングのジムの方にも、週に2度ほど出張という形で行くことになったのです。
新しく入ってきたスタッフがまずはそちらに出張で1か月間ほど行くことになり、その後に私が週に2日間、期間としては3か月くらい行くことになりました。
 
この時は、ずっと同じ場所で仕事をしていたのでとてもいい気分転換にもなり、また新たな刺激にもなったことを覚えています。そもそも、新しくスタッフが入ってきたことは私にとってマンネリを防ぎ、モチベーションを保つ意味でも大変重要なことだったと思います
もちろん、その前提として会員ささんたちの予約がとりにくい状況の改善があったのですが、このことは正式に決まるまでに私は上司に何度も働きかけていたことでした。
私は出張で仕事に行ったにも関わらず、コミュニケーションを図らず身近に相談できる人を作らなかったこと、スポーツクラブのスタッフさんたちと仲良くせずに一匹狼の状態であったこと、様々な人と協力をしなかったことはこの時の特に反省すべき点です
回数としては少ないのですが、広島に行ったことも勉強になりました。すでに2人が広島の方で活動しており、その人たちのやり方が確立されている状態で外部の私が指導につくことは正直戸惑い苦労しました。
とはいえこのことは、本当に良くないことだと思っています。仲良くなるかならないかは別にして、あくまでも仕事です。しかも正社員として働いているのです。
アルバイトならばそれでもいいかもしれませんが、この当時は意識が低かったことを思い出します。
 
わずかな期間出張をして、そしてその後にまた別の場所に同じような形で出張に行くことになりました。その場所もまた福岡と近く、それにお店が広島とは違い、とあるビルのワンフロアがお店が入っており、当時できたばかりの新店でした。
そこも広島に行っていた時と同じような期間で行くことになりました。そこでは私が退職をするまでずっと出張を続けることになるのですが、ここのお店でも新たな刺激が加わり、私自身もいい勉強をさせてもらいました。
しかし、私は広島に行く前からのモチベーションや目標が日を追うごとに上がってこず、むしろいつ退職しようか次は何の仕事に就きたいか、そんなことを思っていました
 
家族や友達に相談や話をしていたかまでは覚えていません。一つ覚えていることは、こっそりと仕事とは関係のない資格の勉強をしていました。ただし、中途半端な気持ちでしていたために不合格でした。
ですので、仕事に対するモチベーションや目標は完全に見失っていました。それに、次の目標が明確ではなく漠然としていました。このことは辞めた後に後悔し、また深く反省することにもなったのです。仕事を辞めるまでの半年以上もの間は、ずっといつ辞めようかということしか考えていなかったように思います。
 
何かにつけて辞める理由を探しながら働いていましたし、気分が乗らないことの方が多く、嫌々仕事していました不満をあえて探して自分を正当化していたような状態でした
給与面、人間関係、仕事内容、今後の先行き、待遇等、もちろん大事な部分ではあるのですが、そこを耐えて仕事をしている人は多く、望み通りにいかないことの方がほとんどです。
 
「初心忘るべからず」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?私はその時の前の仕事はたった数か月で辞めています。そこで経験した苦労や辛い思いを忘れていました。
それに当時は多少自信過剰気味でもありました。辞めてもすぐに仕事は見つかると思っていました。辞めることというのは簡単です。辞表を出して受理されればいいだけの話です。
もちろん、受理されるまでが大変かもしれませんが、就職先を新たに探す方が労力や気力、体力が必要です。
辞めてよかったと思ったのは、ほんの一瞬のことだったかもしれません。辞めてすぐに後悔しているのですから。
 
では、なぜ2年半くらいで仕事を辞めてしまったのか整理してみたいと思います。
・気持ちがマンネリ化してしまい目標やモチベーションを見失ってしまったから。
・現状に不満を抱いていてそれが蓄積されていき、徐々に溜まっていったものの上手に発散できなかったから。
・会社、また今後の人生の先行きが不安になってきてしまったから。
・加圧トレーニングというトレーニング自体に疑問を持つようになってしまい、加圧トレーニングでなくてもトレーニング指導でお客様の身体を変えてみたいと思い始めたから。
・仕事の対価=給与面に不満があり、そのことを相談しても納得のいく回答を得られなかったから。
が挙げられます。
 
上記の理由の最後に述べたことなのですが、実は矛盾している理由があるのです。記事の中で先程、仕事をしながらとある資格の試験の勉強をしていたと書きました。それは、トレーナー職や加圧トレーニングとは全く関係のない資格です。趣味程度のことではなく、次の仕事に活かしていきたいと思い勉強をし、その資格を取りそれを活かして転職しようと考えていたのです。上記に挙げた4つ目の理由と結びつけようと自分の中で解釈していました
かなり矛盾していると客観的に思います。それにたった数年前の想いは一体どこにいってしまったのかとも自分自身に問いかけたいくらいです。
 
しかし、仕事をしていき時間が経過すると、そういった思いや目標というものは薄れていきやすくなるものでもあります。
新年に立てた目標を半年経って忘れているように、時間の経過は早く、また人間は忘れやすい生き物です。働いているうちに考え方が変わることは今でも悪いことではないと思っています。
しかし、方向性が大きく変わる時の決断というのは、必ず一歩、いや大きく立ち止まる必要性があります。なぜなら、感情的になっているかもしれないですし、その場しのぎの考えや、独りよがりの決断や判断、それに周囲の状況が見えていないこともあり得るからです。確かに、勢いが必要なときもあるでしょう。
 
しかし、それはかなり限られたシーンでしかあり得ないと思うからです。ここから月日は今日まで10年以上が経過していますが、この時の決断や判断が1番今までで後悔していることです。
辞めてからすぐに次の仕事を見つけて働ければまた良かったものの、またしても明確な目標やはっきりとした方向性がないまま、またしても路頭に迷い、そして無職の状態、時間が経つのが遅く感じる時を2か月間ほど経験することになりました。
 
ここまで2社経験してきて、経過した月日はわずかに3年弱くらいです。その時の感情は違ったものがまだあり、他にも何らかの上記に挙がっていないような理由があったことでしょう。
自分で下した決断や判断というものは、よっぽどのことがない限りは全て自分が責任を取らなければいけません。
この時は、安易に考え下した結果が後悔を生む結果になってしまったので、自戒を込めてここで書きました。
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。