kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

会社を辞める前の自分の深層心理について~パート2

あなたが今の仕事から違う仕事に転職をしようと思ったとき、最大の理由は何でしょうか?
 
もちろん、その人によって理由は異なりますし、様々な理由がある場合や、たった1つの理由で辞めようと思うかもしれません。
理由なんて特になくて、何か違ったからという曖昧な理由で辞めたことも過去にはあります。
しかし、曖昧だったとしてもその「何か」が自分にとって辞めようと思ったきっかけになったとすれば、それは立派な理由になるのです
 
人間が仕事をしている限りは、様々な感情が渦巻き、様々なことを考えて仕事をします。
当たり前のことを言っていますが、今後AIやロボットが人間の代わり、いや人間以上の仕事をする時代がすぐそこまでやってきています。
学校を卒業してから、1つの会社や職場で生涯働き続けている人は数多くいます。むしろ、日本ではそのことが「当たり前」であるという認識は、未だに根付いているように感じます。
 
ここで以前にも書いているように私は、幾度も会社を辞めては入り、ということを繰り返してきました。その度に、どうして辞めようと思い、それから辞める決断をして行動に移したのか、明確には覚えていないことの方が多いです。
もちろん、こちらに書いている事実や内容に嘘はないのですが、はっきりとしていないこともあるため、起きた事実とその時の感情がマッチしているかといえば、そうではないときもあります。
 
1社目を辞めた時というのは、心身ともに憔悴しきっていました。ですのでこの時は、辞めてからすぐに働き始めることができませんでした。
簡単に言うと、「やる気が起きなかった」という表現が正しいでしょう。心と体がマッチしていない感覚に陥りました。働かなければならないことは十分に分かっているのに、どうしても身体が動いてくれないのです。
 
現実問題として、生活するためにはお金が必要です。この時は1人暮らしをしていたので、衣食住以外にも様々なお金が必要になります。
働かなければお金は手に入りません。そのようなことは誰でも知っていますが、こんなにも足が動かない、気持ちが向かないのかと何度も思いました。
誰かにこのことを伝えようにも、なんと言っていいのか分からない状況に陥っていたのです。
 
実は、この時に消費者金融に借金をしました。それに、親や兄からお金を借りていました。それで数か月間の生活費を賄っていました。短い期間でも、そのようなことがあったのは紛れもない事実です。
この時は、もちろん人に迷惑をかけているとは思っていました。しかし、その感情が薄かったように思います。
だから、少しでも働いてなんとかして自力で生活しようという意識が薄かったと思えるのです。完全に親や兄に甘えていた、依存していたといえます。
 
働いていない期間は、生活のことや、今後のことを嫌でも考えます。もちろん、就職活動をしてはいたのですが、今後どうしていこうか、自分の将来のことをずっと考えていました。
何度も、あの時にああしておけば良かったと思っていました。しかし、前職を辞めたことに対する後悔の念はありませんでした
ただただ自分の行く末はどうなるのか、自分は一体何をしているのだ、という思いが常にありました
 
そうは言っても現実問題として、就職活動に本腰を入れて探さなければなりません。だった数か月間でしたが、長く暗いトンネルを彷徨っている気分が続いていました。
前職を辞めてから数か月後に就職先が決まり、新たな環境で働き始めることになりました。結構あっさりと書いていますが、就職先が決まるまでの間の面接や試験はとても苦労しました。
それに、とても慎重になりましたし、不安なこと、働くことに対しての勇気や次への一歩がなかなか踏み出せなかったように思います。考えすぎる性格が災いしていたのと、先程のような理由と、次入社する会社は失敗したくないという思い、新たな場所でやっていけるのかという思い、何が良い判断でどこが誤った決断か、考えなくてもいいこと、余計なことをただただ頭の中を駆け巡っていました。
 
皆さんが、とある会社の面接試験を受ける時、就職先を決めてこれから働き始めようという時、自分がその場所で働いている自分の姿を重ね合わせたり、自分がそこで働いたときにどういうことができるかをある程度は考えるでしょうか?
もちろん、就職試験の時には面接試験があるので、その時に入社してから、どんな目標を持ってどんな人材になりたいのかを面接官から聞かれることがあるでしょう。
漠然とし過ぎるのはよくないのですが、就職先に応募するときに多少なりとも自分がそこで働く姿はイメージすると思います。
 
先のことを何も考えずにとりあえず働いてみよう、最初の数か月は流れに身を任せて余計なことを考えずにがむしゃらに働こう、と色々な方から言われてきましたし、頭の中でもそうですが、この時以前にも理解はしていました。しかし、ふとした瞬間に様々な想いが駆け巡ってしまうのです。
そんなことを繰り返していても、前に進みません。何も考えずにがむしゃらに動いていたわけではないのですが、身体を動かしていたこと、つまり引きこもらずに活動していたことに関しては、この時の唯一の正解だったような気がしています
 
ようやく巡り合えた会社は、たまたま自分の希望していた条件と、以前からやりたかったことが上手くマッチしたことにより、就職先を決めたような状態でした
だから、ようやく決まったときは、前向きに仕事にこれから取り組もうという気持ちになりましたし、少しは自分の望み通りに働けるのかなという気持ちでいました
 
実際に、2社目の会社に入社した環境や条件が非常に良かったと、今思えば感じています。なぜなら、
・新たな取り組みや仕事を新入社員一同で一から作り上げていくこと
・それに研修の時間が1か月間ほど設けられておりそこで勉強しながら働けたこと
・研修を担当してくれた先生=上司や同期全員が優しく、コミュニケーションが取りやすかったこと
・好きな分野のことなのでスムーズに知識が入っていけたこと
・働きながら学べたこと
・数多くの業務が未経験にも関わらず一から丁寧に教えてもらえたこと
・人として尊重してもらえたこと
・自分の失敗やミスを1人のせいにしないでみんなで解決しようとしてくれたこと
・チームとして働いている感覚にさせられたこと
が理由として挙げられます。
それに加えて、以前の仕事や職場環境等が自分に適していなかったこともあり、この時はこんなに新たなことを覚えるのが苦痛ではなくて、前向きに吸収できる感覚を味わえて新鮮でした。
 
最初に研修が数か月間あったのですが、無知なことをばかりなため、覚えることが多く大変でした。ただ、興味のあることを覚えるのと、嫌々好きでもないのを覚えるのとでは全然違います。この時の勉強は、とにかくすいすいと知識が入っていき、自ら進んで学び、もっと知識を得たいと思い、行動していました。
研修期間中にチームワークが良くなり、また少しずつ仕事のことや業務のことを覚えていきました。お店がオープンしてからは、徐々にお客様との接点が増えていき、仕事の軌道は乗っていきました。やりがいを感じ、人間関係も良好で、接客業やサービス業の仕事というものが分かっていきつつ、学びながら仕事ができ、かつ成長している実感がわいていたので、今思い出しても順調でした。多少の苦労や困難なこと、挫けそうなことももちろんありましたが、それも全て前職と比べればどうってことない、と割り切れました
それに、困ったときにすぐ近くに相談ができる人がいたことも私の助けになっていたと思います。
 
その後、会社の事業が徐々に拡大していき、私は約1年働いた後に「転勤」を経験することになりました。
全く経験のないことでしたが、転勤先が私の実家の比較的すぐ近くになるということもあり、その当時は期待感やわくわく感、それにどんなことがこの先に待っているのだろう、という気持ちが勝っていました怖いもの知らずではないですけど、とりあえずやってみようと思い、後先考えずに決断して行動したことは、その後の人生や仕事の価値観に繋がっていったと思っています
 
しかし、ここまでは順調そうに見えていても、徐々に歯車が狂い始めていっていたのだなと後から振り返れば思う訳です。
では、なぜ仕事をある程度経験して、これから順調にステップアップしていけるというのに辞めようと思い、それから辞めることになったのでしょうか?
これには、理由がいくつかあります。
1.収入をもっと増やしたかったから
月給制で固定の給料にプラスして残業代を稼ぐという、ごく一般的な会社と同じ給与形態でした。だから、残業代が毎月の収入の増減に影響していたといっても過言ではありません。
ただ、毎月残業があるわけではありません。ましてや、昨今特に不景気の時期、そして社会情勢として残業をしてはいけない、という風潮にあります。
だから、固定給の部分をあげていかない限りは、収入を増やすことは困難といえるでしょう。そのようなことは分かってはいたのですが、次第になぜ給料の固定給の部分が上がっていかないのか、と疑問に思いながら働いていました
そのような不満が徐々に大きくなっていき、上司の方に意見を申し上げたことがあります。この時は浅はかで軽率、未熟な行為をしていると自覚しておらず、なぜこんなに頑張っているのに給料に反映されないのか、と毎月の給料日に思っていたものです。
 
2.頑張って働いていると思っていたから
私は仕事に対する認識が当時はかなり甘かったです。先程の理由と相通じるものがあるのですが、こんなに一生懸命に働き、数字をあげていて、リーダー的な役割を果たしているのに、全く評価されず、それが給料に反映されない、そして評価されていかない、と思い始めてきました。だから、次第にモチベーションややる気、目標が下がったり、後ろ向きになったり、前向きな行動や発言をしなくなっていったりしていました
頑張って働いているというのは、あくまで自己評価にしかすぎません。他人がどう見ているか、どう判断し、どう評価されるかは全くの別問題です。
頑張れば頑張るほど、それに比例して給料が上がるわけではありません。もちろん、そのような仕事もあるのですが、それもあくまで売り上げや金額の数字に反映されて成り立ちます。
そのような認識がほとんど当時はなく、頑張れば頑張るほど自分にいいように跳ね返ってくるものだと思っていた私は、次第に仕事に対する気持ちややる気、行動などにおいて少しずつ下がっていったのです
 
3.将来に対する自分の現状と立ち位置に対する認識が甘かったから
その時勤めていた会社で一生涯働き、そこでトップのポジションに就き、様々な業務を幅広くこなそうという考えはありませんでした
今でも一度会社に入社したところで一生涯働き続けるという考え方はありませんが、当時もそのような考え方は持っていませんでした。
ただ、そのことを意識して働くには、早すぎたという結論が正しいと今では思います。20代の若輩者が意識することではないのです。足元にも遠く及ばないですし、ただひたすらに目の前のことを一生懸命に取り組み、それから後はどうなっていくかは分かりませんが、少なくても「正社員」として働いているうちは、その認識で働くことも大切でしょう。
もちろん、転職を考えて実行したり、将来別の仕事に就いてそれでいい仕事に巡り合えたりして考え方が変わり、いろいろな生き方を模索したりすることはいいと思います。
ここの判断や決断に関しては、当時はそれで良かれと思って動いたことが、今になって「それはまずかった」という考えに至ることはよくあることです
 
4.その時に働いていた内容に少しずつ不満を抱くようになっていったから
この時の業務は、少し自分の裁量や教える時間の長さに限りがありました。1回でお客様と接する時間が僅かに30分間だけというものでした。
忙しくなっていくうちに、お客様と接する時間の短さと、お客様に教える時間、お客様とのコミュニケーションがあまりにも短いと思うようになりました。
その後に1回50分という時間のセッションを経験することになるのですが、やはり短い時間のセッションになると、教えることが限られてきます。
それに、1番大事なコミュニケーションの部分がどうしても疎かになります。トレーニングだからコミュニケーションはあまり関係ないだろうという意見もあるとは思いますが、特に通い始めたばかりのお客様に対しては、コミュニケーションが核になるといっても過言ではないくらいに大切になると思っています。
30分以外の時間で教えることは禁止されていたので、どうしてもモヤモヤしたまま終わることがよくありました
だから、せめて50分くらいの時間があれば、より内容の濃いトレーニングが提供できるのに、と当時は思っていました。
 
5.トレーニング方法そのものに疑問を持つようになったから
レーニング方法というのは「加圧トレーニン」のことです。一時期流行ったトレーニング方法です。短時間で軽い負荷で効率よくトレーニングができ、また数多くの著名人の方々がこのトレーニングを行っていたこと、メディアでも多く取り上げられたこともあり、ブームになりました。働き始めの頃は、ブームの真っただ中で、都心部ではジムがこぞって新規オープンをさせていました。
また、私も加圧トーニングで自分の筋肉や身体つきがどう変わっていくのか大変興味があったため、同僚と一緒にトレーニングを重ねていきました。
ただ、身体や筋肉のこと、トレーニングの知識等を勉強していくうちに、いくつもの疑問が生じるようになっていったのです
本当に加圧トレーニングでなければいけないのか、普通の身体の状態でトレーニングしてもあまり変わらないのではないか、というような疑問に思うことが増えていきました。
そして次第に、加圧トレーニングでなくてもいいのでは?という思いが強くなっていったのです。
 
ここまで理由がある中で、どうにか我慢していけば解決できそうなこと、自分の認識や考え方を改めていくこと、といったことの分別はどうしてもつきにくいです
不満や将来に対する思いが年月の経過とともに強くなっていくと、自分の思っていることが正しくなり、次第に人から言わるれることや認識の相違、価値観の違いというようなことが分からなくなっていくのではないかと思うのです
 
人生というものは、そういったことの繰り返しであり、それが早いスピードで自分に降りかかってきます。将来のことを決めるのはそれこそ自分自身なのですが、一瞬一瞬の決断を下すのも自分自身です。ここの認識と状況を具体的に知り、分析し、把握することは自分自身だけではかなり困難です。時間が経てば経つほど考え方や思考は固まっていき、柔軟性は薄れていきやすいです。
 
だから、この時の私のように経験や実績、年月が浅い時というのは、情報をできるだけたくさん仕入れて、またいろいろな人からアドバイスや意見をもらうということも大切だと思います自分に必要な情報を選別して取り入れることや、人の力をうまく借りなければいけないことも大切なことです
もともとこの時は、将来独立を考えていました。それでご飯を食べていくと決めて、自分なりに頑張っていきましたが、すごく浅はかな考えで、その意思と行動は全く伴っていなかったです。
自分の考えが甘いとか、浅はかとか、現実問題ではないとか、そのようなことを第三者や先輩、他人、詳しい人に指摘してもらうか、何かしらのアドバイスを受けることが当たり前なのですが必要です。
 
たとえ1人で全てやっていくと考えていても、現代の世界では「対人間」と関わってくる仕事が未だに多いのも事実です。PCやスマホでのやり取りだけでも可能な時代ではあるのですが、
最終的な所の部分では、人の存在というものが大きく関わってくると今になって思う訳です。
自分の人生だから、自分で行く末を決めて、自分で決断をして、自分で責任を取るというのは確かにかっこいいです。
しかし、そういう時に限って、真っ直ぐしか見ていない、自分のことしか見えていない=視野が狭い状態になっていることも多いです。
あなたの周りに誰かしら人がいる限り、少し力を借りる、支えてもらう、甘えてみる、というのも選択肢の1つとしてありなのかなと後になって学んだことの1つです
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。