kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

夢や目標について

仕事のことに関しては、たくさんのことがあり過ぎて1回では書ききれないので、何回かに分けて投稿しようと思います。
 
私は、大学に4年間通い、22歳で卒業しました。それから、かれこれ13年以上が経とうとしています。
これまでの13年以上もの間に、退職を何度も繰り返してきました。ごく短期間なのも含めると両手でも足りません。
それに伴って、数多くの失敗を繰り返してきました。失敗を引きずるタイプでもあるため、そういったことは今でもだいたいは覚えています。
自分から辞めておきながら、なぜか凹むんです。それに辞めておきながらも、すっきりしたという気持ちになれないことも多いのです。
それには、様々な理由があるはずですし、私だけではなくそれは多くの人が抱く気持ちでしょう。今後、細かく書いていく際に、その理由や当時の感情についてお話ししようと思っています。
 
ここからは少し仕事のこととは関係のない話からまずは進めていきます。遡ること学生時代のことです。
よく「将来の夢は?」と聞かれたり、クラス全員の前で将来の目標や夢を発表する機会があったりしたことと思います。
 
私は、幼稚園から小学校、中学校、高校と年齢を重ねていくにつれて、夢が変わっていきました
幼稚園のときのことは、はっきりと覚えていないのですが、小学生からはスポーツ選手になりたくてサッカー選手やマラソン選手と答えていましたし、そう思っていました。
中学校に入ると、右往左往していき、ざっくりとスポーツ選手、またサッカー選手やマラソン選手、それに車に興味があったので自動車整備士でした。
高校に入ると、それまでのスポーツ選手では通用しないとはっきりと分かるようになったこと、またスポーツ自体には興味があったので、スポーツトレーナーやスポーツマネジメント関連のこと、さらにスポーツ指導者にも興味や関心がありました。
そして、大学に入るとスポーツ関連の進学が叶わず、また自分の将来のことや性格等を鑑みた結果、公務員になることでした。
 
上記に書いたことは、ほとんど全てが将来就きたい仕事に関することですが、将来の夢や希望、叶えたいことはたくさんあり過ぎたためあまり覚えていません。
もちろん、お金持ちになって、30歳までには結婚して子供を持ち、一軒家に住み、平和な家庭を築く、というような理想像は描いていました。
 
しかし、やはりそうなるためには大前提として、自分の就く仕事が大事になってくるとずっと思っていました。そして、上記の目標や夢である仕事に就きさえすれば、自分の理想は実現するものだと勝手に思い込んでいました
ですので、幼稚園くらいから大学生の約15年くらいは、理想を現実にするために、常に追い求めつつも試行錯誤や何をしていきたいのか、どうなっていきたいのかを常に考えながら生活していたような気がします
 
だから、くそがつくくらい真面目な学生時代でした。今もですが、考えすぎてしまい行動に移せない、躊躇してしまう、この先のためになるようなことや、理想を追い求めてばかりいた気がしています。
それに振り返ってみると、年齢を重ねるにつれて現実を見て、考え方を変えているのかなとも感じます
 
やはり、幼少期の頃というのは、現実からかけ離れた、遠い夢の世界や目標とすることは、しょっちゅう変わっていた気がします。
少しずつ現実を見ていくようになると、自分には無理だなと感じ始めます。また、身近な大人たちから何かしらの指摘や意見をもらったり受けたりします。
それに、友達からはもし自分が的外れなことや、現実と理想とかなりかけ離れたことを言おうものなら周りから馬鹿にされます。
 
そのことを学習していきながら成長していくのですが、どこかで捨てきれない夢や目標と自分の今の現状や、現実のはざまに立っている自分がその頃は存在していました。
もし夢や目標を抱いていたことがある方なら分かるかもしれないのですが、夢や目標を簡単には諦めきれない、捨てきれないことはなかったでしょうか?
 
あくまで私の見解ですが、目標は修正できて変えられますし、ベクトルや方向性といったことを様々な角度に調整、変更することができます
それに、極論を言いますと夢や目標は無くてもいいと思っています。理由としては、目の前の一瞬や瞬間のこと、今日のことや長くても1週間くらい先のことをひたすら前を向きながら頑張っていく人生を送る。後ろを振り返りたくない。夢や目標に縛られたくない。ただある事象に向かって突き進んでいくだけでもいいと思っているからです。
 
私の周りの成功している大人たちを見ていると、確かに目標や夢を持っていることが多いことは確かです。しかし、それを公にしている人もいれば、自分の心の中に留めている人もいます。はっきりと、「自分は将来○○億円を稼ぐ」「海外に進出して名を挙げる」とSNSで公言しているような人もまれにいます。
すごいな、と思うのと同時に、このような発言を公にするということは、その人は自分にプレッシャーをかけることで、また周知の目にさらしておけば必ず成功させないと多くの人から何かしらのことを言われる、と自分で知っていることでしょう。
 
自分に自信を持つということは、実はものすごく大事です。私は、自分に自信があまりありません。だから、上記のような考え方や行動は、どうしても自分には到底無理だ、と思ってしまう自分がいます。
あくまで、1つの考え方として、
そんなのそもそも叶いっこないから無理だ。平凡な人生を送る。だいたい叶えられるわけがない。達成したらそこで終わりではないか。
という意見があると思いますが、どれも否定しませんし、私にはこのような考え方は理解できるのです。
 
考え方の根底にある部分が違うのだから、無理にどちらが正しいとか、無理にどちらかに合わせようとか私は思わないのですが、確固たる信念がある方や、今までに数々の成功がある方からしてみたら、中途半端な考え方や目標の立て方、生き方をしているから成功していないのではないか、とも受け止められるのでしょう。
 
今まで自分に出してきた答えや結論を変えることはもう出来ません大事なのはこの先のことです
夢や目標を持ってもいいと思います。大々的に周りに公言していくこともいいでしょう。SNS上で友達のみに発信してもいいでしょう。夢や目標を持たずに、またその場その場のことに全力を注いでいくことでもいいでしょう。
 
ただし、出していく答えや結論というのは、全て人によって違うとしか言いようがなく、その人の生き方のポリシーや信念に従うしかありません
一人一人に生き方や考え方があり違うので、その人がどのように思い考えたかによって、生きていく指針が自分の人生の答えになるのです
 
私はそのように他人に人生観や価値観について、こうした方が今後上手くいくからというようなことを、偉そうに語れる生き方をろくにしてきていません。
むしろ、成功してきたことよりも格段に失敗談や、選択間違いというようなことが多かったと思うので、できるだけ失敗しない、道を踏み外さない、一歩立ち止まれ踏みとどまれる時間をつくるようなアドバイスはできると思っています。
 
人生を失敗と決めつけるのは、まだまだ早いかもしれません。この先の人生を思いっきり成功に導くように、自分で歩めばいいのですから。
しかし、学生時代ならともかくも、社会人になってからは特に、自分の決めたことや決断したこと、それに下してきた結論に対して何度も後悔をしてきて、何度も人生をやり直したいと思ったことか。それに、何度もあの頃に戻りたいと思ったことか。ここでだけお話ししますが、「死にたい」と思ったこともあります(思っただけで未遂もしていないです)。
 
今もまだ志半ばな人生を歩んでいるのですが、少しでもこのブログを見てくれた人に「なにか」を感じてもらえたら幸いだと思い書き進めていきます。
そして、これから先に何回も「失敗談」を中心に記事を書いていく予定です
ですので、内容は主に自分自身がとってきた行動や決断、その当時の気持ち、その時に感じていたこと、今になって思うことや、今だからこそ言えること、そのときにどうすることが良かったのか、あのときにどうしておけばよかったのか、それに、もし今後同じような出来事が訪れたらどうしていけばいいのか、といったことを中心にお話ししようと思います
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。