kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

会社を辞める前の自分の深層心理について4

アルバイト社員から正社員として働くことになり、初めての給料日を迎えた日には新入社員のような気持ちになりました。
それと同時に、まだ研修中で、かつ新規オープン前の開店準備中だったこともあり、これからだという気持ちの方がはるかに勝っていました。
 
研修期間は数か月間あり、することがいっぱいだったのでそれに没頭できていたことは、この上なく仕事のやりがいや、これからどうしていきたいのかを見つめ直せるいいきっかけにもなりました。
同年代の同期で、話しやすく、横のつながりが良かったため、すんなりと溶け込めたのも良かったと思います。
 
私は、新規オープンの前に、副店長という重要なポジションを任されるということを告げられていました。ただ、あまりプレッシャーというのはなく、その時はやってやるぞという気持ちで、開き直って仕事が出来ていました
それから、お店がオープンをして少しずつお店が認知され始めていき、それと同時にお客様も徐々にではありますが、会員に入会していくことになりました。
 
入社した当時の心境は、できるだけ長く働くぞ、前回の二の舞だけはしたくない、という意気込みで働いていました。また、もちろん仕事に対するやる気もありました
ようやく希望していたような形で働くことができたのだから、どんなことがあっても挫けないし、乗り越えると思っていました
 
多くの方が入社した頃は、そのような心境に思うのではないでしょうか?ただ、たとえ少人数であろうと、大人数であろうと、人間同士が関わり合い働きます。
ましてや、この頃は対お客様での仕事でもあり、職場でもしっかりと横の連携が取れていないと成り立たないような職場でした。
今でもあまり得意な方ではないのですが、働き始めてからは接客や対人、対お客様というような仕事ばかりを経験していたので、本当に少しずつではあるのですが慣れてはきていました。
 
やはり、何事もコミュニケーションを図ることは、今でも思うのですが大事になってきます。いや、コミュニケーションを図らない仕事はほとんどないと言ってもいいでしょう。
この頃はスタッフが10人にも満たない職場ではありましたが、人間関係に悩みや問題を抱えていました。それは、働き始めて比較的すぐくらいから出てきました。
 
人は簡単には変えられないとは言います。人が変えられないなら、自分がそこの職場を辞めるしかない、と思う人が中にはいらっしゃるのではないでしょうか?
人が変えられないのなら、自分の考え方や立ち居振る舞い、また他の部署に異動を申し出る等、何らかの手段があると思います。
 
私は、現在の職場では、ほとんどと言っていいくらいに人と関わることがありません。しかし、仕事のほとんどを人と関わらないといけないような状況、つまり人とのコミュニケーションがないと成り立たないといけない仕事は実にたくさんあります。
苦手な人とコミュニケーションを図りたくない、自分のことを理解してもらえるような人と話したくない、あまりその人が好きではないから話したくない等、会社で働く以上はどれもよくあることです。誰もが自分の思い通りに、上手く意思疎通や話が通じて理解力のある人で、人間ができているような人ではありません。
そこは避けては通れないですし、それこそ人は変えられないのです。しかし、上手くいかない人と関わることはストレスになることもまた事実です。
 
私は、その部分の対処の仕方や克服する方法、切り抜け方は上手くはありませんし、実践できていないと思います
上手く関わっていく方法や切り抜け方はもちろん理解しているのですが、どうしても相手と真正面から、そして自分が正直に行き過ぎてしまい疲れてしまうのです
そこの部分の切り替え方や、心の持ちようが上手な人は素晴らしいと思います。だから、営業の方とかセールスマンの方々は、私からしてみるとすごいなと思ってしまいます。
 
この頃は、社内の数人と上手く関係を築けないことが多く、何かと悩んでいました。そして、私と話が合ったり、ウマが合ったりするような部下とよく愚痴を言い合っていたものです。
それが時には、良くも悪くも大事になるのですが、同じ社内で働く以上は人は変えられないので、上手く切り抜けていく方法を見出していかないといけないのです。
 
私はそこで働き始めて、人間関係に悩んでは誰かに相談したり、愚痴を言い合ったりして何とかやり過ごしていました
人間関係だけでなく少しずつちょっとしたこと、例えば給料のことや業務のことに関しても不満があったことはあったのですが、耐えられる、切り抜けられる範囲で当時はやり過ごしていました。
そこの部分でちょっとした不満があっても、上手く切り抜けていくことに関しては、少しは以前と比べて成長したのかなとは思っていますが、心の中の根本の所はそこまで変わっていませんでした
仕事の内容や自分の役割については、まずまずやり遂げられていて、少しずつ成長していって、新しいことも不満がありながらも同僚の助けや支え、それにお客様のおかげで乗り越えていった気がしています。
 
お客様と接するようになって約1か月半後、本当にちょうど自分やお店に会員さんやお客様が増え始めてきたときに、自分の病気で長期入院、そしてそれに伴い辞めざるを得なくなったときには残念でなりませんでした。
そこで働いていた社員はほとんど辞めることなく、どんなときも上手くフォローし合って様々なことをやり遂げていていい関係が築けていたと思います。
 
もちろん、私が病気にならずにそのままいつまでその会社で働き続けていたのかは分かりません。言いにくいのですが、そこのお店は私が辞めた数年後に閉店となりました。
私が病気になった時は、単なる風邪だと思い、出勤はしていたのですが、とある日の通常の勤務日に、会社に連絡できないくらいに酷く体調を崩してしまったのです。
この時に、同じ社員の人たちが私の家に来てくれて、一緒に病院まで連れて行ってくれました。この時は、さすがに感謝の気持ちと同時に、良かった、助かった、と思ったものでした。
 
その前にも度々欠勤していたり、早退していたりして、体調が芳しくない状態だったこともあるのですが、社員として働いて良かったとこの時は思いました。
その時期がちょうど年末だったので、年末年始休暇が5日間ほどあり、そのタイミングでしっかりと身体を良くしようと思い、私の実家に帰省しました。
そして、実家に帰ってから容体が悪化してしまったのです。事態が事態なので、そう簡単には仕事に復帰はできないだろうと社長をはじめ、同じ職場で働いていたスタッフは思ったかもしれません。
 
私は、意識が回復してからもできるだけ早く仕事に復帰したい、そして復帰可能だと思って入院生活を送っていました。
一般的には、1か月くらいであれば、欠勤や有給休暇という形で対応が可能だと思うのですが、私の場合は先ほども言いましたが長期戦になりそうでした。
 
病気になって入院して、手術をするか否かという時にはすでに1か月以上は過ぎていたのですが、仕事に対するモチベーションは失われていませんでした
早く社会復帰をしたい、仕事をしたい、いや外に出たい、というようにいろいろな想いが日に日に大きくなっていくのですが、現実問題はそう簡単に運ぶことはありませんでした
 
病気療養から約2か月後くらいに社長が入院先に見舞いに訪れたのが最後でした。私は、自宅に届いた書類を母親が見て、契約打ち切りの知らせを聞きました。
俄かには信じがたく、当初は全然信じられませんでしたし、また復帰できるものだと思い込んでいました。だから、ショックというよりも、まだなんとかなるのではないかと思ったものです。
 
私が病気で倒れて入院して、ちょうど3か月が経って契約満了となりました。記事だけを見ると、それも当たり前かとお思いでしょうが、その時の私としてはすごく長く感じた3か月間になりました。
そして、いろんなことが起こりすぎて、訳が分からずに過ぎた3か月間になりました。仕事よりも自分の健康、そして命を優先しなさい、とその当時の社長はおっしゃっていたように思うのですが、この当時は全くピンとこなかったです。
 
この時の思いは何が先行していたのかというと、また仕事がなくなるというその恐怖と、今後の自分の人生の不安でした。その当時の会社や職場にまた復帰できて、残れて、最悪アルバイトからでも復帰ができるとも思っていました。
その感情は、手術をした後も、退院をした後も消えることなく残っていました。それは、やはり志半ばで辞めたくないという気持ちと、もっとこの職場で働きたかったという想いが大きかったからだと思います。
だから、現実と理想が混ざっていて、人の言うことが現実なのか、自分が今していることや入院したことは夢なのではないか、合致するのに相当時間がかかりました
 
私は会社を辞めて、手術をし、退院してからしばらくしてその当時の社長と面談をしました。それは、辞めることに対して納得がいかなかったからです。
その面談の前に実はメールや手紙で、その当時の想いを社長宛に書いて送りました。やはり、どうしてもすっきりさせたかった気持ちが強かったからです。
その面談をした後に、腑に落ちる、落ちない、納得した、しないに関係なく、何かすっきりとした気分になれたのです。おそらく頭の中の整理をする時間がかかったからというのと、もやもやした気持ちをしっかりとぶつけたかったのだと思います。それまでは、ずるずると後ろ向きだった気持ちが、前を向いて進んでいこう、新たに何をすべきかということを考えられるようになったのです。
 
しかし、このように文章で当時のことをまとめましたが、現実問題としては退院はしたものの、急にすることがなくなってしまったことに加えて、目標や次のことに対して、どこかぽっかりと心に穴が開いてしまったような状態に陥ってしまったのです
もちろん、ハローワークに行ったり、家族と相談したり、前の職場の人たちと相談したりしていましたが、またしても新たに次のことを何をするのか考えることが苦痛で、嫌になることが何度も生じてしまいました
 
やはり、この時の最善策は、一度実家に帰ることでした。この時は選択ミスだったと思っています。結果論を言うと、1年後くらいに実家に帰るわけですから、その1年間はさておき頑なに独り暮らしを続けなくても良かったと思っています。自分の本意ではない状態に陥り、それによって歯車が狂い、人生が変わっていきました。
この時の決断が正しいのか、誤っているのかということは、分かるはずもありません。上記に書いた「選択ミス」というのも、当時は良かれと思って下した結論と選択です
 
後からならいくらでも言えることはすごく多いと思います。それこそ、「たら・れば」の話になります。
今進んでいる時間の針は戻せないのですから、とにかく今この一瞬の最善の選択を下しながら自分の道を突き進んでいくしかないのです
この時の短期間の出来事は、私の人生のターニングポイントになったことは間違いありません。やはり、そこをこの先どう捉えて、結びつけていくかはそれこそ自分次第なのです。
 
最後は、まとまりのない文になりましたが、本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。