kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

なぜ仕事が続かないのか~パート9

手術をしたのがその年の4月でした。
5月に退院して、徐々に日常の生活を送っていきました。そして、6月ごろから就職活動を始めていき、7月から約半年間ほど、職業訓練校に通うことになりました。
 
 
以前に、職業訓練校に通ったときは途中で退学してしまったので、学校に通うにあたり目標を立てました。
・前回通ったときは途中退学したので今回は卒業する
・なるべく休まずに授業等に出る
・勉強をしっかり継続する
・時間ができるので卒業したあとになるべく早く就職できるようにしっかり準備しておく
・就職情報サイトをなるべく見ておく
・健康面に気をつける
・筋力や体力を戻していく
・授業後に短時間でもアルバイトをする
・新しい友達を作る
 
上記のような想いを抱えて、学校に通うことになります。
 
そして、手術をしてからまだ数か月しか経っていません。
ですので、ここの学校の先生や親、お医者さんや友達からも「決して無理はするな」と、何度もくぎをさされました。
 
それだけ、私の身体を心配してくださっている方々がいるんだと、ありがたく思いました。
そして、そのことは嬉しくもありますし、決して無茶はできないし、救ってもらった命。大事に生きていかなければいけないとも思いました。
 
でも、学校の周りの友達や気持ちがつい高まってしまって、筋力トレーニングを頑張ったり、ランニングの強度を上げてしまったり、身体がきついときも無理をして学校に出てきたりしたときもありました。
 
よく先生方からは心配の声をかけてくれていましたし、学校の仲のいい友達からもあまり無理をしないほうがいいよとか、母親や友達からもたびたび、体調はどうか?とメールや電話をもらっていました。私がつい、無理をしてしまったり、頑張りすぎてしまったりする性格を知っているからだと思っています。
 
 
ただ、手術後の心臓の方のことよりも、私が当時1番困っていたことがあります。
それは、病気で倒れたあとの若干の後遺症による記憶喪失気味だったことと、たびたびやってくる偏頭痛です。そして、体調の波もかなり激しかったです。
 
特に、偏頭痛の症状にはかなり悩まされました。
偏頭痛については、別の機会にお話できればと思います。
今もたびたび起きるのですが、頻度は減少しています。
 
幸い、1番懸念をしていた心臓の病気の後遺症みたいなものは起きませんでした
 
病気で倒れて、一時意識を喪失していたこともあり、以前の記憶の曖昧な部分や忘れていたことがたびたびありました。しかし、時間をかけて脳を使うことを意識して増やしていったことにより改善されていきました。
 
実は、この学校に入ったときに自己紹介の場で以前、別の場所でトレーナーとして働いていたことがあるということを、自分の口から全員の前で話してしまったので、自分にプレッシャーをかけてしまいまし
 
だから、時々行われる小テストや試験、実技試験等で高得点を出さないといけない、出すのが普通、という状態を自ら作ってしまったのです。
そしてもちろん、周りからも出来て当たり前、というような感じで見られていました。実際は、試験前はかなり勉強していました。
 
 
職業訓練校の人数は、だいたい30人くらいいて、男女比はほぼ半分半分でした。
年代も幅広くいたので、いろいろな人と話が出来て、とても面白かったです。
しかも、トレーナーを養成するような職業訓練校は、なかなか募集がないということもあり、周りにはやる気のある人が多くいて、勉強熱心な人が多く、目標が高い人が多かったので、かなり刺激を受けていました。
 
だから、この半年間は勉強に関しては、自分なりにですが頑張ったと思いますし、努力もしたと思うのですが、結果や自信につながりませんでした。
今できることを最大限に努力していたのですが、うまく結びつかなかった点が1番悔しい所です。
結果というのは何を意味しているのかというと、訓練校の終了前の試験であったり、就職に結びつく面だったりします。
この期間ももちろんですが、就職の情報をいろいろと得てはいましたし、探したりしていました。また、トレーナーとして再度働くことをあきらめていなかったので、その情報を中心に探していました。
ただ、トレーナーの求人数が少なく、希望通りの求人が少ないのが現状です。
だんだん焦りが生じていきます。
卒業後にすぐに就職する、という自分に課したタイムリミットまで残り数か月を切ってくると、
本当に就職ができるのか、希望通りの仕事がないのではないか、別の選択肢を視野に入れたほうがいいのではないか、等いろいろと嫌でも考えてしまいます。
 
そして、周りが徐々に就職先を決めていく状況を目の当たりにすると、余計にそう感じてしまいます。
 
また、学校に行きながら、短時間のアルバイトをして、働くことに対して身体を慣らしておこうと何度も面接を受けました。しかし、条件に合うところがなかなか見つからず結局、卒業するまで学校とアルバイトの掛け持ちすらできずじまいでした。
ただ、これについては、自分の言い訳にしか過ぎないと思っています。いざ働こうと思ったら働けるはずです。そのときに働かなかったのは、明らかに自分の甘えだと感じています。
 
 
なお、最初に掲げた目標に関しては、一部分しか達成できませんでした
しかも、学校は無事に卒業できたのですが、就職先を決めることができませんでした。
 
卒業すると、生活状況が一変します。何も予定がなくなるからです。
学校に行っていたときは、午前中から夕方近くまで、授業があるので時間が経つのが早いのですが、急に何もすることがなくなると、時間が長くなるのと同時に、焦りの感情しか生まれてきません。心の余裕がなくなり、生活することでいっぱいだけど、早く就職先を決めないといけない状況です。
 
心臓の手術をしてから1年が経たないうちに、いろいろなことを経験して、一回り大きく成長しようとしていましたが、実際はほとんど変わっていませんでした。
2度目の職業訓練校に通ったこと、選択したことは良かったと思います。
しかし、通い始めてからの過ごし方や取り組み方、考え方、卒業してからの計画の立て方等に問題があったと思います。
 
考え方がまじめすぎると思われるかもしれませんが、上手に周りの方々の力を利用して相談したり、友達と悩みを言い合ったりして、うまく活かしきらないといけないと思います。
 
病気になって退院してから、学校に通い、卒業するまではまずまず順調だったと思います。
しかし、そのあとにうまくつながらなかったところが最大の反省点です。手術をして半年間が経ち、途方に暮れる長い1日が始まりました。
 
以前の記事の内容と同じように逆戻りをしてしまいました。
また、ここから数多くの苦労の道を自ら歩むことになるのです。
 
次回以降のブログでは、どんな生活をしていったのか、どのような道のりを歩んでいったのかを中心にお話ししようと思います。
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。