kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

中学校で陸上競技にのめり込んだ理由

私は、中学生の頃から現在まで、およそ20年以上陸上競技をしています

そこで、私の陸上競技の原点となる中学生時代の陸上部での活動やその当時の想い、その後なぜ高校生になっても陸上部に入ろうと思ったのかを中心に、今回お話したいと思います。

 

私が小学生のとき、親や友達から中学校の部活動の情報をいくつか得ていました。
私の母親は、自分が入る部活動やスポーツについて特に口出しをすることはないので、自分に部活動の選択権がありました。


しかし、私が通うことになる中学校にはサッカー部がなく、サッカーをするならクラブチームに入るという選択肢しかありませんでした。私の同級生や先輩方には、サッカーと部活動を並行している人が何人かいました。
もちろん、それも1つの選択肢に入るでしょうが、私は「陸上部だけ」で活動することに決めました。


部活動の両立は、意外と大変だと思います。

私の場合ですと、週に何日かをサッカーに費やし、またサッカーがない日を陸上部で活動する。ほぼ毎日運動するという点で、体力面がアップするのでいいのでしょうが、「どちらも中途半端になる」と思います。

いい経験にはなりますが、故障のリスクがかなり高まります。また、用具の費用や活動費用もかなりかさみます。私の家は、裕福ではないですし、私の1つ上には兄がいます。しかも、母子家庭です。

さすがに、家計の事情は中学生にもなったので把握しています。


そういう全ての事情を考慮して、陸上部で頑張ろうと早速入部することにしました。


ただ、陸上部といっても、何の種目を選ぶかに多少迷いはありました。それは、「短距離走」にするか、「長距離走」にするか、です。ちなみに、「走り幅跳び」にも少し興味はありましたが、「短距離走」を選ぶならその種目も選択肢に入れようかな、と思っていた程度です。


私の通った当時の中学校は、市内有数のマンモス校で、全校生徒は700人超いました。それに、校舎の敷地面積が狭く、グラウンドが200mトラックがギリギリ取れるくらいのスペースでした。
陸上部は、男女全学年合わせて、100人超はいました。また、グラウンドを使う部活動は、野球にバレーボール、ソフトテニス、たまにバスケ部もいて、放課後のグラウンドは、人でごった返していたイメージが強いです。たまに、野球部のボールが身体に当たったり、人と接触したりしていました。今思うと、かなり危ない状況です。
ちなみに、現在は区画整理の関係で、中学校の場所は変わり、グラウンド等は広くなって、きれいになっています。

 

そんな環境でも、活気があり友達が多く入部する陸上部で何の種目にするか決めかねていたのですが、短距離にはすでにかなりの人数がいました。そこで、私は思ったのです。


もしかしたら、短距離走でレギュラーやリレーメンバーに選ばれるのは容易ではないかもしれない。だったら少しだけ得意な中長距離走ならレギュラーや駅伝メンバーになれる可能性が高いのでは
と考えました。


陸上部に入部した友達の多くは、短距離走に入っていて、私もその流れで短距離走のチームに交わろうとしたのですが、自分の意思で中長距離のチームの中に入っていきました。仮入部期間で、かなり緊張はしていたのですが、先輩方に意外とすんなり受け入れてもらえたのでスムーズに馴染めました。そうして、私の長い陸上競技人生がスタートしたのです。

 

結局私は、長距離走を選んで正解だった、と思っています。
なぜなら、長距離走は練習を行った分だけある程度、結果になって返ってくるからです。当たり前なのですが、練習をしないと記録はよくなりません。


もちろん、短距離走に努力が必要ない、練習をしなくてもいい、と言っているわけではありません。しかし、生まれ持った才能や遺伝子の要素は短距離走の方が強いと思います。それに、私の通った中学校は、かなり短距離走が速い先輩方が多くいました。正メンバーになるのは厳しいかな、と思っていたのも理由としてありました。

 


小学校のときに、持久走大会やスポーツテストがありました。スポーツテストの50m走は、学年の中でも上位の方だったのですが、1番になれたことはありませんし、1番になることが遠く感じられました。
ところが、持久走大会はというと、6年間で途中転校はありましたが、着実に順位を上げることが出来たのです。この出来事が自信になったのと、学年で1番や県大会等で上位を目指せると思えたのが大きかったです。
学校内で1番を取る人は毎回決まってはいたのですが、長距離走なら自分の練習次第で、学校で1番になれるかもと思っていました。


練習の質や内容はともかく、少しずつ努力だけはしていこう、と日々練習に取り組んでいました。
ただ、陸上部だけでも100人近くいて、長距離走の部員も30人以上はいたでしょうか。

最初は、レギュラーメンバーに入れるかどうかの位置にいて、補欠を経験したり試合で走れなかったりした悔しい思い出があります。
また、同学年に私の常に上をいく好敵手がいて、練習や試合でその人に負けてばかりいました。

 

私は、試合に出て負けるよりも、補欠で試合に出られないほうが悔しかったです。

なぜなら、戦わずして負けた感が強く、悔しい矛先をどこにぶつけていいかわからないからです。


運動会のリレーや駅伝メンバーでもそうですけど、何度か補欠を経験しました。

私の経験上、欠を経験することで、今よりも強くなってやる、というような向上心が生まれることにより、精神面での成長が大きくなると感じています。悔しいと思うからもっと努力するし、もう二度とあの思いを味わいたくない、と思います。その気持ちを持たなかったら、競技スポーツをする意味がないと思います。趣味程度の遊び半分なら、その気持ちはなくてもいいでしょうが。


だから、中学校の部活動は、出来るだけ走っていました。ときには休みの日も走っていました。努力だけはしていこうと思っていたのと、ライバルに勝ちたい、目標タイムや順位で結果を出したい、駅伝メンバーに入って走りたい、学年で一番速くなりたい等、いろいろな想いで部活動をしていました。


そうすると、試合で自己ベストが出て、県大会に行けて、駅伝メンバーに選ばれて、市の持久走大会でも上位に入れました。地道に行っていたことが報われたことで、陸上競技の楽しさ、達成感がわかってくるようになりました。


中学校の3年間で、私は着々と成長できました。

あまり詳しくは覚えてはいないのですが、3年生のときにようやく、同学年のライバルに勝てるようになったのです。また、私は距離が長くなればなるほど、得意だと言うこともわかるようになりました。


まだまだ努力していたらどうだったのかなと思いますが、この頃はまだまだ自分に甘さがありました。

練習面だけでなくて、生活面、精神面、競技をする上での目標の立て方など、です。

でも、この時に私は、諦めなければいいことが待っている」「コツコツとやっていれば花が開く時が来ると部活動を通じて学べました。
だから、陸上部を選んで良かったと思います。


実は、こう言っておきながら、若干サッカーをしたい、という未練は残っていました。
中学3年生の進路選択のときに、市内でサッカー部がまずまず強い高校に行こうとしていて、その高校の夏の校内見学にも行ったほどです。
しかし、3年生で陸上部の周りのみんなが部活動を引退していく中、冬の駅伝を目指して高校受験の勉強と並行して自主的に走っていきました。

その中でも、走ることの情熱が失われなかったことや自分が成長していっていると実感したこと、まだまだ続けていったら伸びそうだと思っていたので、高校でも陸上競技を続けようと思っていくうちに、サッカーをするという考えは次第に失われていきました。

 


中学校の3年間で見てみると、遅咲きだと思います。でも、私は遅咲きという言葉が自分に合っています。

陸上競技に限らず、何をするにしても、開花が遅いと感じるからです。

花が開く時期は人それぞれですし、人と比べるものではありません。だから、私は今もマラソンをしていて、まだまだ花を咲かせたいと思って練習したり、試合に出たりしています。

 

 

部活動をしている中学生や小学生に送りたい言葉があります。

中学生3年間は長いようで、短いです。もし3年間やってもモヤモヤした気持ちや、まだ続けたい気持ち、やり残したことがあるなら、まだ続けたほうがいいと思います。あと、周りの目は気にしなくていいです。あなたがすること、していることは、何も悪いことをしているわけではありません。むしろ、応援してくれて、支えてくれる人の方が多いです。自分の信念がちゃんとあれば、辛い時や苦しい時、結果が出ない時も踏ん張れます


辞めることはすごく簡単ですが、続けることは難しいです。もし続けることが出来たら、それはその人の才能として生まれ変わるので、何をするにも自信につながって、挑戦することが怖くなくなると思います。
上記の言葉は、自分自身にも言い聞かせています。

だから、続けるということは口で言うのは簡単ですが、実際にするのは難しいんだな、と大人になってより一層強く思っています。