kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

日本人はなぜランキングが好きなのか

よくテレビ番組や雑誌の特集で、「〇〇のランキング」とか「好きな芸能人ランキング」のような題名で盛んに取り上げられています。おそらくほとんどの方が、目にしたことがあるのではないでしょうか?
毎週のように目にするくらいですので、そのような風潮は当たり前にすら感じられます。
 
そこで私はふとした疑問が生じました。「これって日本人だけが好きなのではないか?」と。
海外でも報じられることはあるのかもしれませんが、「こんなにも報じられることはあるのか?」と。
こうしたランキングの在り方についての賛否はともかくとして、ランキングがつけられることによって当然ながらメリットデメリットが生じることがあると思います。
また、こうしたランキングをつけることによって、考え方の隔たりや格差が生じるのではないかとも思うので、その点についてもこれから書いていきたいと思います。
それから、なぜ日本人が思想や意見、考え方について、ランキングや順位付け等に流されてしまうのかについて掘り下げてお話したいと思います。
 
日本人はランキング好きだというのは、すでにご承知の通りだと思います。例えば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなどです。
人間は社会的な生き物ですので、日本人だけでなく外国人もそれぞれの社会階層の文化に従って生活していくので、ある社会階層では異なる意見や考え方があるでしょう。
ただ、ランキングがある限り、1つの指標に従った上下関係が生まれてしまいます。つまり、「勝者」と「敗者」が作られてしまうのです。
 
競争という土俵にいる限り、勝つ時もあれば負ける時もあります。時にはある程度の順位付けが、時には必要となる場合もあるでしょう。
例えば、若いときに相対的な競争で格付けされた経験があると、それイコール自分の能力や才能だと思い込んでしまって、自由に考えたり、挑戦したりするのを辞めてしまったんじゃないか、と感じる例を垣間見ることはたくさんあります。「勝った」場合もそうですし、「負けた」場合にも当てはまります。
 
私たちの社会がある一定の指標を前提とする限り、その構造は変わりません。ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済みますから、人間はある種の「秩序」というものに従い、一見もっともらしい理由にすがって安心したいのかもしれません
しかしながら、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話なのです。
 
もちろん、アメリカやヨーロッパにも有名大学のランキングが存在しますが、それ以外の評価軸や選択肢がもっと存在します。
日本人はよく自信がないと言われますが、それにもこのたった1つの評価軸を信じ、自分の評価を委ねてきたことが関係していると思います
なぜなら、ある1つのモデルを理想にしていると、いつも何かが「足りない」からです。ある理想像の元では、私たちは常に「減点評価」の対象になります。
すると、自分の能力や努力が足りないという強迫観念に急き立てられ、いつまでたっても満たされることがありません
 
しかも、SNSが広く普及している現代では、成功者の華やかな生活が目に入りやすく、作られた理想像と自分を比較して、自信をなくしたり、焦燥感に悩まされたりしやすい環境にあります。
何より、残念なことに、自分に与えられた才能や経験を誰もが過小評価してしまいます社会の評価軸に合わないというだけで、自分の持っている資質を強みだと思えないのです
1つの指標や理想像に価値を見出し続ける限り、その構造は続いていきます。
そこから解放されるためには、他人が作った指標や理想を追うのではなく、「自分にとっての指標」「自分はこれでいい」と思える「自分の軸」を持つことです
 
それこそ、「美味しいかまずいかは、自分で決めればよい」というスタンスは1つの方向性です。
そこまで極端な言い方をしなくても、ある物事に対してどう思うかは自分が決めればいいのです。
「自分の軸」を持つためにまず必要なことは、社会やメディア、学校や親から植え付けられた次のような「理想像」に、自分が無意識にとらわれていることに気づくことです
以下のような例が挙げられます。
・男性は「弱み」を見せてはいけない
・女性は若くなければいけない
・もっと痩せなければいけない
・やるからには成功しなければいけない
・いつもいい成績をとらなければいけない
これらはほんの一例ですが、このような自分の中の植え付けられた「理想像」に気がつくことが改善のための大きな一歩です
 
大概、このような信念は、自分の中で自動的にどんどん発生していて、無意識に影響していることすら気がつかないものです。
ですから、自分の言動を振り返って考える必要があります。そして、囚われた考え方に気づき、書き直していくことが大事なのです
相手との対立を恐れて、自分の本当の思いを殺してしまう人が多いのも事実です。
無難な意見ばかりを口にするだけで、何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。大きな損もないように見えるけれども、その代わり得もしない。言ってみれば、「守りの姿勢」になっているのではないかと相手から捉えられてしまうことがあります。
 
上記のように「いい人」であることを演じることによって、自分の本当の意見や立場を表明する必要もないし、自分の意見がもしかしたら受け入れられずに、批判されるかもしれないという可能性を避けられる面があると思ったからです
また、いい人でいることのもう1つの恐ろしい弊害があります。いい人を演じ続けなければいけない義務感のようなものや、こうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。しかも、そのような人ほど、実は心のなかで怒っているものです。
 
「自分はこんなに我慢しているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対して、常にイライラや不満を溜めているのです。自分の満足が「相手の反応次第」になってしまうからです。
当然ながら、他人の言動はコントロールできないので、負のループは続いてしまいます
例えば、日本人が海外に行って外国人と接するときに、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、冷めてる、何も言わない、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で、怒りや抗議を示すことが多くあるのです。
日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのだと思います。
いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分の意見よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています
我慢し過ぎて、自分の本当の気持ちややりたいことが分からなくなってしまいます。
そのため、やる気を失い無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです
 
いい人になってしまう原因として、「他人からの評価を気にしすぎること」に一因があります
ですので、まずは「他者評価」ではなく、「自己評価」を重視しましょう。1ヶ月前や昨日の自分より成長できたかどうか、で判断してみてください。
自己評価を積み上げていけば、徐々にいい人から抜け出せるはずです
才能、興味、能力や才能、好奇心や発想力等、その人にしかできないことがあるのです。
競うべきは、昨日の自分です昨日の自分よりも1ミリでもいいから自分は「成長した」と思えればいいのです
形式的な言葉や流された意見よりも、自分自身の体験や考えが何よりも大切なのです
現在コロナ禍で、大量の情報があふれる中で、他人や世間からの情報に踊らされないためにも、大切な心得ではないでしょうか?
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。