kimunori10’s diary

マラソン、スポーツ、トレーニングを中心とした雑記ブログ

2019年12月のフルマラソンの行動日記

この日記は、私がフルマラソンを走り終えて、数日後に書いた日記です。 
 
結論から先に言うと、フルマラソンの奥深さを知る大会になってしまいました。目標としていたタイムには程遠く、完走することがやっと、という状態になってしまいました。
 
また、悔しさを晴らす大会がすぐそこまで迫っていたにもかかわらず、3月の大会は、中止になってしまいました
 
そして、しばらくはその悔しさ、もやもやした気持ちを晴らす機会が訪れることがないままです。
だから、1回1回の大会を大事に走らなければならないと感じました。
 
当日の行動を事細かく解説します。
 
早朝4時50分に目を覚ました。
今までとマラソン大会と違い、しっかり睡眠はできたように思う。
21時半には夢の中に入った。
 
朝飯は、家から持ってきたおにぎり3個である。
あまり食べすぎると重くなるという考えが、後々後悔を生むことになろうとは。
身支度を済ませ、最寄の駅のコインロッカーに少量の荷物を預けに行く。
 
朝7時前、何人かのランナーの姿が見える。
地下鉄でスタート地点付近に行った、つもりになってしまった。
受付会場までの距離が長い。
何人かのランナーがいて、その人たちについて行ったが、その人たちも初参加組みだろうか。
おそるおそる、どこが受付会場なのか、という雰囲気で受付会場に向かっていた。
会場はすぐそこのはずなのに全然見えてこない受付会場。
 
それもそのはず、大阪城は1周4km近くある大きなお城だ。
歩けど歩けど見えてこない、聞こえてこない。
私は、いいウォーミングアップになる、と気持ちを切り替えた。
幸い、天気はよかったし、絶好のマラソン日和である。
 
次第に聞こえてくるアナウンスの声。時刻は、7時を過ぎた辺りだ。
受付は前日に済ませている。だから、ゼッケンやRCチップの装着等、一通りの準備はできている。
しかし、3万6千人近くのランナーをなめてはいけない。
 
A~Hブロックまであるスタート地点。
しかも、荷物預けは3万6千人分があるのだから、お祭りのようにどこに行っても混んでいる。
更衣室等の広場は、一般人の立ち入りが厳重に管理されている。
 
更衣室のテントに入って着替えようとしたとき、私は度肝を抜かした。
ランナーがぎゅうぎゅうの状態で着替えをしていたのだ。足の踏み場がほとんどなく、周りをよけながら奥のほうへ進み、着替えるスペースをかろうじて見つけたのだ。
男だらけでもその空気感は、なぜか殺伐としていた。
だから、一刻も早く着替えて、外の空気を吸いたかった。
 
ウォーミングアップで、10分はジョグはしたかった。
しかし、トイレも済ませたい。
5分過ぎ。私はトイレの列に並ぶことを選択した。
8時前で、トイレに並ぶこと10数分。意外と時間がないものだ。
「シモ」の不安は解消した。
 
しかし、またしても予期せぬことが起こる。
8時過ぎにもかかわらず、もう長蛇の列ができていたのだ。
慌てて荷物を預けて、走る格好の上にレインウェアをはおい、約1時間前にもかかわらずスタート地点に向かうことにした。
 
長蛇の列の後方に並び、歩きながらスタート地点に向かう。
どこにスタート地点があるのかわからず、ただ人の後ろについて歩く。
大阪城の中を通り、横切る形で大阪府庁前のスタート地点に並ぶのだが、方向感覚とスタート地点が分からないから、とにかく人についていくしかない。
大阪城の上のほうに向かう階段を上ると、視界が開けて道幅も広がり次第にスペースが広がる。
人の合間を縫って、走りながら突き進む。いいウォーミングアップになるではないかと思っていた。
 
すると、スタート地点らしき広い道路に到着した。
ただ、A~Hブロックまであるため、既に大人数がスタート地点に整列していた。
しかし、Aブロックに関しては、まだ人が少なく割とスペースはあった。
 
それでも、時間はまだまだある。30分前ならまだしも、約1時間くらい前である。
だれか知り合いでもいればいいのだけど、特に何をするわけでもなく、スタートを待つ間、静かに並んでいた。
時間が過ぎるのが遅く感じる瞬間はこういうときなんだ、と改めて感じる。
でも、9時にスタートするから、9時までのカウントダウンで、次第に周りの空気も緊張感が出てくる。
オープニングイベントで、ランナー紹介や市長の挨拶がある。
 
しかし、トラックレースのときとは違った緊張感がある。
張り詰めてはいないし、スタート数分前でも、周りの人たちと話したりしている。
そして、身体が冷えないように羽織っていた合羽等の羽織ものを、数十分前くらいから脱ぎだして準備する。走る際に不必要になる羽織ものを、端の方に捨てていく。
 
その要らない羽織ものを、リレー形式で渡していくことをこの時初めて経験した。
今までは、羽織ものをスタート前になったら、端の方に投げ捨てる。もし、大阪マラソンでそんなことをしたら、相当数のゴミが溜まり、後方のランナーに多大な迷惑がかかる。
 
 
いよいよ、カウントダウンが始まる。
3分前、2分前、1分前、30秒前、10秒前、位置について・・・号砲。
 
私の大阪マラソン2019が9時、スタートした。
 
序盤の混雑は承知済みだけど、前が開けてきたときには、先頭集団ははるか前方にいた。
Aブロックだから、人はポツポツといるものの大集団ではなく、集団の人数も3、4人前後でパラパラと散らばっていて、走りやすく快調だった。
 
人の後ろにつくことはあまりなく、かといって人が後ろについてくることもなく、序盤は自分としては調子よく走れていた。給水は2.5kmごとにあるし、しっかり毎回取るようにしていき、10kmくらいまでは、ウォーミングアップのつもりで走っていた。
 
しかし、私はここで痛恨のミスを犯すことになる。途中計時を一切見なかったのだ。
後日、5kmごとのラップタイムを見て、イーブンペースであったことに気づくが、タイムを設定していたにもかかわらず、自分の感覚を頼りにしてしまったことを反省しないといけない。
 
本当はもう20~30秒くらい上げていきたかったのに。
ハーフ地点に電子掲示板が設置してあり、そこでハーフの通過タイムが確認できる。そんなに余裕があったわけでもないのに、想定していたより2~3分は遅かった。
まずい、と一瞬思った。
 
私は、このときの余力はあまりなく、イーブンで押して粘るしか方法はなかった。
人を抜くよりも抜かれることが多くなっていったから、ペースは落ちていたのだ。
30km走であれば、ほぼイーブンペースで押していけているが、これはフルマラソンである。
 
25km過ぎだった。
急激にペースが落ちているのがわかった。そこにアップダウンが続いたため、精神面で緊張の糸と集中力が切れてしまった
ペースは右肩下がりに落ち始めていく。ということは、何人もの人に抜かれていくことを意味する。
 
30~35kmは、本当に長く感じたし、途中棄権か、医務室に行くか、歩くか、いや、ゆっくりでも走るか、葛藤がしばらく続くが、答えは自分で導き出すしかない。
 
36km過ぎ、私の脚はついに止まった。
体調不良を医師に伝えて、医務室へと向かう。
 
このときは、途中棄権の考えが、頭を駆け巡っていた。
医師に症状を訴えてから、ベッドに横たわる。
看護師にアクエリアスを飲まされる。
毛布に包まり冷え切った身体を温める。血圧と体温を測る。
数値を聞いて驚いた。血圧は上が80くらい。
体温は、何度測ってもエラーになる。壊れてるのか。
5、6回は測りなおして出た数字が34度。低体温症だ。
 
横になっている間に、アクエリアスを何回も何回も飲んだ。
すると、見る見る間に、体温と血圧が上がっていった。
自分の身体でもそれが実感できた。
意識がはっきりしてきたのと同時に、あと6kmくらい頑張れる、と思えてきた。
歩いてでも完走できるやん、と思えてきた。1時間あれば完走はできる。
 
医師からは、もう途中棄権したほうがいいと思うよ、と言われたが、自分はもう前を向いていた。
 
36km地点から再スタートだ、と思ってコースに復活した。
片手にアクエリアスのペットボトルを持ち、飲みながら走ろうと思った。
 
コースに出ると、まぶしく感じた。
他のランナーが必死になって、歯を食いしばりながら一生懸命に走っている。
そして、多くの人が沿道で、途切れることのない声援を送ってくれる。
 
俺は死ぬわけではない。そして、何をしにここまで来たんだ。だんだんと悔しくなってきた。
もうタイムはわからない。でも、時計の針は進んでいる。
 
再びコースに戻ると、ペースを上げて走っている自分がいた。
次々とランナーを追い抜かす。
自分が走っているスピードは、もう誰からも追い抜かれることはない。
 
でも、気持ちよくはない。タイムとの戦いではない。本当に自分との戦いだ。
周りの景色は、あまり覚えていない。そして、見る余裕はない。
医師から言われたとおりに、こまめに水分を補給しながら走っていた。
 
38、39、40・・・1kmを過ぎるのが意外と早く感じた。いつもなら長く感じるのに。
36kmに脚を止めずに、ペースを落としながら走っていたらどうなっていただろう。
 
身体が冷えるということは、アームウォーマーとレッグウォーマーをすべきだったかと今思える。
そして、水とアクエリアスを2回補給すべきだったかとも思う。
 
だから、フルマラソンは奥が深いです。
 
まだまだ勉強させられることばかりだし、まだ知らないことばかりなのだと思います。
ということは、またフルマラソンから私は学んだことになります。
 
そして、まだフルマラソンの経験が10回足らずの若輩者です。
同じ年に、同じような失敗をしました。
 
来る2020年の東京マラソンに出ます。
もう同じ失敗はできないし、したくない、いやしない。
初めてフルマラソンを走ったのが、24歳のときの地元を走る大会でした。2009年です。
 
それから10年が経過しました。この間、いろいろなことがありました。
フルマラソンはもう走れないかもしれない、と思うような病に冒されたこともありました。
たまに、フルマラソンを走りながら死ねたら本望なのではないかと思うときもありました。
 
しかし、今までフルマラソンで満足のいく成績を残したことがありません。
そして、フルマラソンに対する認識の甘さがあるのかもしれません。
ということは、まだまだ伸びしろがあるということでもあり、まだ力を出し尽くしていないということかもしれません。
 
だから、やり残していることがたくさんあるから、もっとフルマラソンを走りたいと思います。
 
現状に甘んじず、己の肉体と精神を磨き上げ、最高の走りができると信じているからこそ、
今日もまた練習をします。
 
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。